その1 すべてはここから始まった

 その昔英国のとある地方都市に、車好きの叔父さんが「蓮」という会社を作ったとさ。
叔父さんの作る車は簡単な構造で、軽く、お値段も手ごろであったため、競争好きの
人々はたちまち気に入ってしまいました。かの「自動車競技場の狼」という近代自動車
カトゥーン文学の金字塔に登場した欧州という車は、大排気量の伊車、独車に混じって
一歩も引けを取らない活躍をしていました。
 

その「蓮」社が、同じ英国の自動車好きのこれまた叔父さんに「超7」という車の製造
設備や販売権を売却したのが
1972年のことでした。70年代「蓮」社は経営母体や方針
が変わり、以前ほど刺激的な車を製造することを止めてしまいました。その後も「超7」
は改良を加えられ、現在でも公道を走行できるフォーミュラマシンとして一部マニアに
絶大な指示を得ています。「英国Caterham社 Super7」その車がもたらす病は、ひと
たび虜となってしまった人の心を永遠に虫食み続けます。

田宮製セブン

 そう、この私もこの病に侵された一人だったのです。フェラーリほど高価ではなく、
その爆発的な加速力は叩頭部を殴りつけられるごとく、そして非日常的なドライブフィール。
まさに、安い、ウマイ、速いの3拍子を満たした生き物なのです。雨風を確実に防ぐ
ハードトップ、エアコン、そしてラジオさえ備えない生き物は、騎手たるドライバーにさえ
一種の心構えを要求します。「2シータオープンライトウエイトスポーツ車欲しい症候群」
(あえてセブン・シンドロームとは言いません)、を治癒させるには、この様な車を手に
入れる以外に方法はないのです。私がこの病にかかったには、1989年のことでした、
それ以後何台かの車を所持してきましたが、月日が経つに連れ身の回りの総ての
車が面白くなくなり、もんもんとしたカーライフを過ごすことになるのでした。
つづく....
1998年5月26日

戻る